Interstellar walkers

メモメモメモリ~


カップの2について

カップの2タロットカードの中には絵柄のインパクトが大きくて印象がそれ以上に広がりにくくなってしまうカードがある。たとえば「恋人」はウェイト版の絵柄やタイトルで、色恋話を連想する人が多そうだ。
似たカードにカップの2がある。2人の人物が向かい合って杯を突き合わせる絵はカードの意味を知らない人でも「なんかいい雰囲気では…」と感じる。そしてそれ以上に解釈が膨らまない。恋愛の質問ならさらにそう思うだろう。

私は最近毎月今月の自分ケルト十字をしていて、ある時1枚目にカップの2の逆位置が出た。
たいていの場合、1枚目はすぐに「分かる~今まさにコレ!」なカードが出るが、この時は思い当たらなかった。人間関係全般が上手くいっていないならもっと他のカードが出そうだし、2という数字ということは不特定多数というより、向かい合う他者が存在している。
だけどそんな人いないしな。何を表しているんだこれは?
2枚目にはソードのペイジがこれも逆。コミュニケーション問題が予想される。誰かとの関係が上手くいかなくてすれ違ってやりとりもスムーズにいってなくて、とか。でもそんなんないしな。

それから暮らしの中でカップの2が頭のバックグラウンドアプリ状態。

ある時家族が外から帰ってきて、手を洗わずに料理をしだす所を目撃し「手を洗ってくれ」と言ったら「外出先でアルコール消毒をしてるからいいんだ」と言われ絶句した。その人にとっては「それが何か?」らしい。
私にとってはありえないけど、その人にとっては気にならないことなんだと思った。

ある時カフェでのんびりしていると、近くに座った1人で来た人が自分の向かいの椅子ではなくて、横の別のテーブルの椅子を引き寄せてそこに荷物を置いた。 その後別の人がセルフサービスのお店なのに飲み終わったコーヒーカップを置いたままお店を出ていった。
私にはどちらも「え~」と思えることだったが、特に迷惑な客という感じでもない、普通の人がサラッとそうしているのを見て、この人達には自分の行為は気にならないことなんだと思った。

私にはこういうことが日常的に無数にあり、(乙女座の細かさと山羊座の集団の秩序に対する目線のせいなのか)しんどいけど、それは自分の心の中だけの問題であって、それぞれの人はまるで気にしていないことなので、責めることでもない。
誰かに対し「こうして欲しい」と思うのは、ましてそれを言うのはエゴの一種でもあるので、こういうことに出会った時は「この人の世界観ではこうなんだな」と最近ようやく思えるようになれた。
自分と相容れない考え方を認めるのでも受け入れるのでもなく、「この人はこうなんだね」とただ思う。否定もせず、そうなんだ~と思えるようにすることは、アレコレ目についてしまう自分にとっては特に大切だと思った。

それで、カップの2の逆を思い返した。
向かい合う人のそぶりを、考え方を、見方を、気に入らない場合にもめくじらを立てずやりすごす力って大事だな。
私は世の中の不正やイデオロギーの違いなど、ネットやニュースで見る他者というより、自分の目の前にいる範囲の人の言動で色々思っているので、カップの2という限定的なカードだったのだ。

カップは感情で、カップの2は心の交流を表す。
ケルトの最初の4枚はその人の性質も表す。




タロットカードをすることは夢判断に役立つ

インパクトのある夢を見た後、どういう意味だろう?と考えることがある。
夢ってなんなのさは色んな説があるけど、深層心理の表れとも言われます。
ショッキングな夢を見た後に、私はこんなこと考えてない~と思うけど、深層心理的なものは、シンボルを使って現れます。

シンボルといえば、タロットもシンボルの集まりです。
家が火事で燃える夢を見た時、すわ正夢か!?と焦ったりする。
現実に起こりそうなことを夢に見た時はいつも正夢になったらどうしよう!?と思うけど、安村ばりに安心して大丈夫です。まずおきません。
これは「家」というシンボルと「火事」というシンボルの組み合わせです。

家は安らぎの空間とか、家族と居る所とか、大事な物が沢山置いてあるとか、家をどうとらえているか人によって違うし、またその時々でも変わりますが、そんな場所が突然の火事で全焼です。これについてどう思うかはまた個人やその時によって違いますが、共通しては多くを失っている。

夢に見たものに対し、今の自分がどう思ったか、強い印象を持ったキーワードをピックアップして、それが今の自分にとって何を意味しているのか考えます。
炎には浄化の意味があるので、私はこの時は部屋を片付けるべきだなと思いました。

ある夢は男女兼用のトイレに入っていて、そのトイレはドアが2つあることに気づかずにカギをかけてないドアから間違って男性が入ってきました。様式で、スカートか上着でおしりは隠れていましたよ。念のため。
ちなみに個人的には兼用トイレは反対ですが、これは夢なので現実的なことを言ってるわけでなく、あくまでシンボルです。夢で起こったことは現実的にはとらえません。
なので、自分の中で今は男性性と女性性の統合のテーマがあるんだなと感じました。現代では女性と男性は別という考え方がありますが、もちろん女性にも全員男性脳はあり、男性ホルモンもある。男性でも女性のそれがある。ただ割合とかが違う。そしてシンボル的には男性は能動で発するタイプ、女性は受動で受け取るタイプです。
私はアレコレ手に入れてため込んでいく受動的な面が多くあるので、結果部屋に物は多く、思ったことも基本言ったり書いたりせずほっておいてます。

だけどこの世は陰陽合わせ持つということで、「受」だけだと陰極まりのバランス悪~い、エネルギー回らな~い、タロットで言うと「運命の輪」の車輪止まっと~るです。
ということで、この男性的なる「発」(H×Hみたい)と女性的なる「受」の両輪を回すことをもっとやりなさいよ~ってことかなと思った。
トイレは排出場ということも、発(出す)とかぶってるし。
そしてこの夢では間違って私の使っているトイレに入ってしまった男性のほうが慌てていたので、能動は尻込みしてるとか。受動はもうなれたもの。

なぜタロットカードをすることが夢判断に役立つかというと、シンボルで読み慣れることがどちらも重要だからです。
個人的にとらえないこと、事象だけで見ないこと。そのシンボルは何を表しているのか?をシンプルに見ること。
良し悪しでとらえないこと。もちろん火事もトイレの間違いも現実であったら嫌だけど、シンボルの世界は象徴で、現実の出来事とは別物です。良し悪しはない。タロットカードにもカード自体に良し悪しはありません。良し悪しは現実世界で受け取り手が判断するものだからです。

シンボルのほうが下に流れているエネルギーみたいなもので、言うなれば大地で、事象はその上に立つ人間みたいな感じかな。

表層に出てきているものは、もう知っていて、分かっていて、対応していることだから、わざわざタロットに聞いたり、夢の意味を考えたりしない。
明日の宿題をやることにわざわざタロットきったり夢に見たりしないし。

自分でもはっきり気づいてないエネルギーを可視化するのにカードや夢が役立つけど、その見方は現実とは違う。
でもエネルギーはこれから表に出てくる予備軍みたいなもので地続きだから、読んどいて悪いことないやね。

最近は面倒に感じてネットに何かを書いてない私ですが、こんな夢判断をしたことで今回ちょっと書いてみました。
夢の影響でこう現実が変わることもあり、夢も現実の一部だな~と思いますよ。



のっけの山羊話

マイカレさんがnoteで出してる「マイカレンダー2021春号|「アスハラ」って何?」という記事を買いましたよ。

なので先生方の文を読む前に、似た風なテーマでいっちょ自分の太陽星座「山羊」についてつれづれ書いてみようと思い立ちました。

私の周りには占い好きがあまりいないので、アスハラ(※1)を受けた覚えはないのですが、もし何か言われても、「サインだけで話されてもね~」と思って受け流しそうな気がします。

と、そんなことを言っている自分に、もう一人の自分が「山羊み~~!」と言っているのを感じる。なんと、自分で自分にアスハラを??
とはいえ、自分にも山羊らしさがなんなのか、そうはっきり分かっているとも思いません。それは自分のことが自分では一番分かりにくいからか、もしかしたら自分のアセンダントの獅子座から山羊座がアヴァージョン(※2)だからかもしれません。

そんな私ながら妄想で山羊座をテーマに書いてみると……。

まずは何か厳しいです。とはいえやたらめったら押し付けてくるとか怒っているとか冷徹だとかいうわけではありません。それは質の悪い土星や火星に任せましょう。

何が厳しいかというと、日常の中で目指す高みが厳しい。(なんて山羊山羊しい発言だ!)
私の中の山羊座のテーマ曲はサウンド・オブ・ミュージックの「すべての山を登れ」です。
そして目線が山の上のほうにいっちゃってるので、山の裾野の色々なことはある種些末なこととして一緒くたにされる運命のような。それで眼中以外のことは大雑把になります。

なぜ我々は高みを目指してしまうのか?
それはやっぱり高みを目指し続け、到達することこそが山羊の目指す世界観であり、生きてる感覚であり、イキイキするからじゃないだろうか。
私などは分かりやすい目標など掲げられたほうが、よっしゃやるで、という気になるものがあります。それはなるべく挑戦のしがいがあるようなものがよろしい。
ゆっくりでいいよとか、いつでもいいよなどの感じだと、まったりしてしまう。
山羊座のドミサイル(※3)が土星でエグザルテーション(※4)が火星というあたり、アスリートなの?という雰囲気です。
自分の中ではドラゴンボールでいう所の戦闘民族だと思っています。あと牡羊座、蠍座も戦闘民族。

しかしこんなことばかり書いていると他のサインの方々に「山羊こええ~」とドン引きされてしまうので何かいいことも書こう。

そうそう、山羊に限らず地のエレメントサイン(※5)は落としどころをつけるタイプなのではないだろうか。それは自分達が地面に根差している存在で、そこがルーツでありまた辿り着く地点だという考え方があるから。その地のエレメントの中でも最後にやってくる山羊座はその総まとめなのでやりっぱなしを許さない。(あっ、また怖い表現になっちゃった)そして何年でも覚えている。(また何だか怖くなっちゃった)
何年も前で、もう言った本人すら忘れていることでも、山羊の心に引っかかったことはいつでも山羊の中で真空パックです。土星をドミサイルに持っているだけあって時をものともしません。

って良いこと書こうとしたのにまたこんなことになってしまった。これも山羊のパワー?オーラ?なの?

とはいえ。山羊の根底にはユーモアがあります。身を切っても面白ければ本望です。実際本人は普通にしていながらも変なことをしている人が結構います。
星座の絵でよく描かれる山羊座の絵も上半身山羊、下半身魚。これはギリシア神話のパン神の姿です。怪物から逃げる時に慌てて失敗してこの姿になったのですが、とても面白い姿だったので星座にされたとか。
本気なのかふざけているのか、と言われれば、真面目にふざけていると言いたい。

wikiでパーンを調べたら、色々面白いことが書いてあります。
小惑星パンや土星の衛星パンも気になります。土星のパンは変な形で面白い。

牧神パンは色んな作品にも登場しますが、なかなかつかみどころのない神様というか神っぽくないようなそんな所が魅力的です。
ニジンスキーが振り付けたバレエ「牧神の午後への前奏曲」は美しさと怪しさと変態と原始的のミックス具合が絶妙です。
ケネス・グレアムの「たのしい川べ」の中の「あかつきのパン笛」のパン神は美しさと畏怖、優しさと悲しさが同時に存在しています。

パンの語源は「全ての」ということで、一面的ではない山羊の根源的な底知れなさが感じられます。

高みを目指すというのは、いつまでたっても辿り着けない。悠久の時の流れとか、自分の認知をこえたなにかと山羊はいつでも寄り添っているのではないでしょうか。

色々言ってしまいましたが山羊座は時間によって磨き抜かれた大きな仕事ができるはず!大器晩成とは我らを表す言葉だ!土星のパワーで焦らず忍耐強くやっていこうではないか~。

※1 アスハラ:アストロロジー・ハラスメントの略称とのこと。
※2 アヴァージョン:対象から30度、150度にあり、見ることができない場所。
※3 ドミサイル:惑星の強さを表す品位の考え方で、その惑星を支配するサインにある。
※4 エグザルテーション:〃、その惑星が高揚するサインにある。
※5 地のエレメントサイン:牡牛座・乙女座:山羊座のこと。