冬至前夜
 木枯らしの吹きすさぶある日。職人通りを小走りに行く少女が一人、通りの角に立つ雑貨屋に駆け込んだ。

 働き者のメイドさんにあいさつを交わして、リリーは店のカウンターを目指し階段を駆け上がった。来客を告げる鐘がなると、若き店主、ヴェルナーは顔を上げる。来店の騒がしさで客が誰かは分かっていたが、暖の焚いてある閉め切られた部屋は、店主におぼろげな眠気をもたらしていた。
「ああ…、何か用か?」
 あごひじをついたまま客を向かえる店主は、階段を登ってきた少女がひざに手をついてしばらくの間呼吸を整える様子をぼんやりとながめていた。
「今日はアードラの羽根ある?」
 寒さに上気した顔を上げ、リリーは勢いよく尋ねる。
「ねえよ」
 そっけない即答に期待はずれ気分は2倍に膨らんだ。
「ひどいわ!昨日も無かったじゃない!」
「いつもあるわけないからな」
 ヴェルナーはそこで会話を中断させたが、リリーはまだ一人でぶつぶつ期限がどうのと文句を言っていた。
「代わりと言っちゃなんだが、今日は女子供の喜びそうな珍しいもんが入荷してるぜ」
 珍しいものと聞いて、リリーはすかさず店内を見回し始めた。口ではまだ、羽じゃないと意味がないのに〜と不平をつぶやきながら。しかし、いつも掘り出し物の並んでいる商品棚を見ても、目新しいものはなにも無い。疑問に思って店主を見ると、眠たげな目はカウンターをまたいだ下に向けられていた。つられて視線を自分の足元へ落とすと、そこには木箱につまった沢山の本が置いてあった。古本だろうか、やや色はあせ、紙がめくれているけれど、どの本も色とりどりの彩色がほどこされた装丁で、表紙には綺麗な絵がついている。リリーの顔はぱっと輝き、木箱のほうへしゃがみこんだ。
「外国の絵本ね!可愛い〜」
 その反応に、ヴェルナーは頬をゆるめた。リリーは一冊ずつ本を取り上げて大事に見ている。さっきまでの不満顔はどこへやら、無邪気な子供そのままの表情だ。こいつまだまだお子様だな、と店主は思う。ふと、リリーは一冊の本に目をとめた。
「これとか、錬金術の参考書になりそうね!」
 ヴェルナーは重いまぶたをしばたかせた。彼女の口から発せられた言葉を飲み込むのに数秒かかる。
「ただの絵本が?」
「錬金術のヒントはどこにでも転がっているのよ。ねぇ、これ知ってる?」
 リリーが手にしている本の表紙には赤いフードつきコートをきた白ヒゲのおじいさんの絵が描いてあった。おじいさんは山のような荷物を抱え、馬のような動物にソリをひかせて空を飛んでいる。たしかにちょっと不思議な光景だ。
「ああそりゃあな、たしか遠い国の冬至の祭りの話だ。そのおじいさんがこんな風に空飛んで、良い子供にはプレゼントを、悪い子供には罰をあたえるらしいぜ。そんな風習があるんだってよ」
 リリーは本の挿絵を見ながらその話を聞いていた。たしかに、そんな光景が描いてある。
「面白そうね。この本もらうわ」
「変わったものを作ったら見せてくれよ」
 銀貨を受け取った店主は、いつもの本気か冗談か分からない口調で言った。紙袋を渡されたリリーは、はーいと生返事をしつつ、でも面白がってるみたい、と感じた。ヴェルナーの目が、子供みたいに光った気がしたから。

 工房に帰ったリリーは、いつもお茶をするテーブルにつくと、さっそく紙袋から買った絵本を取り出した。本は年月がたち、色があせていたものの、今でも十分にカラフルだった。赤、緑、黄色などの原色が入り乱れた、一見けばけばしいとも思える色の組み合わせ。でもなぜか下品には見えず、それは異国の、リリーの知らない不思議な魔力の匂いを伝えていた。ゆっくり表紙をめくり、自分の息で本の魔力が消えないかと気にしながら、静かにページをおくって見た。めくるたびに面白そうな挿絵が出てくる。だが文字が読めない。肝心な本の内容を、その挿絵から想像するしか出来なくて、リリーはどうしようもないもどかしさを感じた。
 突然体の揺れを感じ、リリーはハッと顔を上げた。小さな手が自分の腕を捕らえ、揺さぶっている。それはリリーが面倒を見ている少女の一人、ヘルミーナだった。椅子にひざたちになり、テーブルに身を乗り出してこっちを見ている。
「先生、お帰りなさい!なんども話しかけてたんですけど…」
 ヘルミーナはそう言って、恥ずかしそうに笑った。本当は誰もいない工房に、昼中一人でいて淋しかったのだ。彼女は抜群に頭のきれる、神童とまで言われる子供だが、なんといってもその年齢はまだ幼いのである。
「それ、新しい参考書ですか?」
 リリーは本を閉じると、その表紙を見やすいようにしてヘルミーナの前に差し出した。
「外国の絵本なの。面白そうだから買ってきたんだけど、文字が読めなくて」
 ヘルミーナは、その大きな目で興味深そうに表紙を覗き込んだ。彼女は本好きなのだ。
「北の国の文字ですね!私、これなら読めますよ」
 リリーはビックリしてどことなく得意顔のヘルミーナを見つめた。いつも難しそうな本を読んでいると思っていたら、外国の本まで読んでいたのだ。
「ヘルミーナー!」
 リリーは顔中笑顔にしてヘルミーナに抱きついた。ヘルミーナはどぎまぎしながら、でも嬉しそうに、北の国は結構独自な錬金術が発展しているんです、と言った。

 リリーが本をめくり、ヘルミーナが文を訳しながら、二人は一緒に絵本を読んだ。
 白ヒゲのおじいさんはまず、世界中を飛び回って珍しいおもちゃを大きなふくろにいっぱい集める。リリーは思わず、見知った若い雑貨屋店主を連想して微笑んだ。そして冬至の前の晩になると、八頭もの馬もどきに空飛ぶソリをひかせ、一年間良い子にしていた子供達にそのおもちゃを配ってまわる。それは幸せな子にも、親をなくして泣いてる子供にも、平等に配られた。最後におじいさんは、今年一年良い子にしていなかった子供をお仕置きして回った。それまでの好々爺が一転して恐ろしくなり、ムチをふりまわす。ここの所を読むヘルミーナの調子はいきいきとして目が輝いていた。
 読み終わった二人はさっそくこの絵本に入れ込んで、すぐに初めからもう一度読んだ。リリーはおじいさんがおもちゃを集める部分が特に気に入り、ヘルミーナはお仕置きの場面をどこよりも面白がった。

 二人がこうして夢中になっている間に、いつのまにか日が落ちていた。窓から差し込む光が、淡い黄色になっているのに気づいて、リリーは急いで夕飯のしたくを始める。ヘルミーナはすっかり絵本の詩を覚えこんで、リリーのお手伝いをしている間中、楽しそうに暗唱していた。
 すっかり日の落ちた頃、やっと工房にドルニエとイングリドが帰ってきた。
「お帰りなさい。二人は一緒だったんですね!」
 リリーがスープの入ったナベをテーブルにうつしながら言った。
「ちょうどアカデミーの建設現場でイングリドと会ってね」
 3人娘の保護者であり、先生でもあるドルニエは、食卓のゆげに目をほそめた。彼は毎日錬金術の普及のために、お城やら貴族の家やらと飛びまわって忙しい。工房にいる時でも研究に余念がなかった。こうやってみんなで食事をしている時が、彼の一番のほっとするひとときなのだ。
「あー私もうお腹ぺっこぺこ!いただきまーす!」
 嬉しそうにおさじをにぎったイングリドは、よっぽど空腹だったのか、スープ皿をひっつかむと勢いよく食べ始めた。ヘルミーナがあきれた様子で言う。
「まったく、下品なんだから!」
 いつものケンカが始まったのは、いうまでもない。

 食事を終えたリリーとヘルミーナは、転びそうな勢いで、イングリドをひっぱって2階の子供部屋に突進した。やけに嬉しそうな二人の様子にイングリドは首をひねる。リリーとヘルミーナはおおげさな動作をして、古い本を取り出した。
「これは…?」
「外国の絵本よ!ヘルミーナが読めるの」
 二人は口々に絵本の面白さをたたえ、イングリドに読んで聞かせた。そうしてこの少女も、この本が大好きになった。イングリドは特に、おじいさんがプレゼントを配ってまわる所が気に入った。
「いいわね、このおじいさん。もうすぐ冬至だし、家にも来てくれないかなぁ」
 誰からともなくそういうつぶやきがもれる。みんないっせいにそれに賛成した。
「イングリドはムチで決定ね!」
 ヘルミーナがその場面を想像しながら嬉しそうに言う。
「なんでよー!」
 イングリドが憤慨して言い返した。
「しょっちゅう工房をぬけてほっつき歩いてるじゃないの」
「悪いことなんてしてないもん!いい子にしてるよ」
 ベッドの上に立ち上がりかねない二人をリリーはなだめて言った。
「ケンカしない!二人ともとってもいい子よ!…でもなんでおじいさんは家に来てくれないのかしらね?」
 ヘルミーナがベッドから降りて腰に手をあて、胸をはった。
「私、分かってます!」
 二人はおおっと感嘆の声を上げると答えをせっついた。ヘルミーナは二人の顔をゆっくりと見ると、大きな声で宣言するように言った。
「くつ下をさげてないからよ!」
 そのとたん三人はそうか!と口々に叫びながらいっせいに笑い出した。
 3人の笑い声は、夜もはやい職人通りに高く響き渡った。ドルニエは一階でその声を聞きながら、やっぱりこのメンバーでザールブルグへ来てよかったと、顔をほころばせた。



 翌日、リリーは昨日絵本を買った雑貨屋に向かった。その頭は昨夜から考えていることでいっぱいになっている。二人の子供は楽しそうに、冬至の前日にさげるくつ下のことを話していた。もし今年も白ヒゲのおじいさんがやって来なかったら、二人はすごく残念に思うだろう。
「それって、なんだかかわいそうだわ…」
 もうすぐリリー達が初めてこの町にやってきた記念すべき日になる。思えば二人は本当によくやってくれた。ここに来た時は二人ともまだ10歳の少女で、なれない土地での暮らしは大変だっただろう。しょちゅうケンカもしているけれど、こうやって今、少しずつここでやっていけているのは、二人の頑張りもあってこそなのだ。
 リリーは雑貨屋の扉を開けた。店は昼でもランプの光に照らされ、古いものの匂いがかすかにただよっている。
 今日も店にやって来た少女が、カウンター前に辿りつくと、店主は読みかけの本を閉じた。
「なにか出来たか?」
 リリーはため息をつくと、事情を説明した。

 長い話を終えたリリーはカウンターにひじをついた。いつものように店には客が少ないので、こうやって店主を長い間拘束できる。
「それで?」
 こいつらそんな話信じてるのか…とヴェルナーはやや呆れながら話の続きをそくした。
「だからね、もしおじいさんが来なかったら…私が代わりに二人にこっそりプレゼントできたらって思って。ヴェルナーならおじいさんが持ってきそうな珍しい、異国のおもちゃに心当たりがありそうだなーって」
「やなこった。前にも言っただろ。掘り出し物ってのは自分の足で見つけるものだ」
 つれない言葉にリリーの期待は裏切られた。
「うう…ちょっとくらい協力してくれたっていいじゃない」
「悪いな。俺も暇じゃないんでね」

 ヴェルナーに相談したのが間違いだったわ…。リリーは雑貨屋の隣の井戸水を、持ってきたビンにくみ上げると、ぶつくさ文句をつぶやきながら元来た道を戻った。あと相談できそうな人は、と歩きながら考える。
 イルマのいるキャラバンは行商もしてるから、こういうことに詳しくないかな…でも南の特産ものを扱っているからちょっと違うような…。あー他に誰かいないかなぁ。
 通りのにぎやかな所まで来ると、最近この街にやってきた画家、アイオロスが見えた。いつものように道端で絵を描いている。
「やぁ、リリー」
 アイオロスは見知った少女が近づくのに気づくと、キャンバスから顔を上げた。違う街から来た者同志、なんとなく親しみがあるのだ。
「こんにちは、アイオロス。ちょっと相談があるんだけど、いい?」
「僕が出来ることだったらね。相談にのるよ」
 優しい返答に、誰かさんとは大違い、とリリーは気持ちをとりなおした。通りを行く人のじゃまにならないよう、イーゼルのわきにしゃがみこむ。
「小さい女の子が喜びそうな、めずらしいものって何か知らない?」
 思いきり管轄外なことをたずねられたアイオロスは、絵筆を置き、しばらく難しそうな顔をして考えていた。
「プレゼントかい?」
「うん…。あ、でもちょっと特別なプレゼントで、あの、北の国の、良い子にしてた子供にプレゼントをあげるおじいさんの話、知ってる?」
 アイオロスの表情が嬉しそうに輝いた。
「その話なら知ってるよ。なつかしいなぁ。そういえば、もうすぐだね。」
 この話をしあえる人がまたいたなんて!リリーは嬉しくなって、絵本の話をおりまぜながら、ことの詳細を語った。アイオロスも、忘れかけた記憶をひっぱりだして話に加わった。
「あ、そういえばおじいさんは、子供が一番欲しがっているものをあげるんじゃなかったかな。おじいさんにはその子の欲しいものが分かるんだよ」
 そのことは絵本にはなかったので、リリーは驚いた。アイオロスは納得して、絵筆を取り直す。
「うん。やっぱり子供の欲しいものをあげるのが一番だよ」

 アイオロスに相談にのってくれたお礼を言って、リリーはまた歩き始めた。考えることは変わっている。あの子達の欲しいもの。しばらく考えて、思った。
 あたし、分からないわ。あの子達のこと、あんまり知らなかった。そんなことに気づいてなかったなんて…
 工房にたどり着いたリリーは、すっかり落ち込んでいた。



 冬至の前日。年中温暖な、雪が降らないザールブルグも、この日あたりはさすがに冷える。
 その日は数日に一度の、街の中央広場にバザールがたつ日だったため、ヴェルナーは朝から見に出かけていた。ここには時々思いがけない掘り出し物が出る。昼には大賑わいになるこの市も、朝のうちはまだ人けが少ない。寒い日ともいえばなおさらだった。掘り出し物を見つけるには、まだ人が来ないうちに探すのが鉄則だ。
 今朝タンスの奥からひっぱりたてのマフラーごしに、白い息をはきながら、ヴェルナーは一つ一つの店を見てまわった。まだ準備中の所もある。しかし、店の感じで彼にはだいたいどの程度の商品があるのかが分かった。それに知り合いの行商人も多い。いつものようにいくつか見つくろったものを手に入れたヴェルナーは、混んでくる前に帰ろうかとあたりを見渡した。
 いくらか日が昇って暖かくなり、少しずつ人も増えてはいたが、まだ昼前だ。
 ヴェルナーはふと、今まで視界に入っていなかった、こじんまりとした店を見つけた。その店の商人は頭から口元まで隠す頭巾のようなものをかぶり、寒いのか、上着を何枚も着ている。その前に広げられた布の上には、さまざまな毛皮や暖かそうな織物の布がのっていた。
「上等なもんだな」
 ヴェルナーは商品をのぞき込み、言った。
「お、だんな目がいいね」
 店の主人は手をのばし布を持ち上げた。波打った布がそのつやを光らせる。
「ここに広げてある以外には商品はないのか?」
 本当の掘り出しものは大抵とっておきにと隠されているものだ。
 あるにはあるが、と主人は言葉を濁らせた。時期じゃないんでね、そう言って隣に積んである荷物から包みを取り出す。言葉とは裏腹に、主人の包みを扱う様子は誇らしげだった。
 出てきたのは折りたたまれた幾枚かの布だった。だが、今まで見たこともないようなものだ。冬に似つかわしくない、薄くて色鮮やかな上等の布。その随所にはさまざまなモチーフが細かく刺繍されていた。ヴェルナーは思わずため息をもらす。その息は白くたなびいて上空にのぼった。
「これはあっしの故郷の服でね」
 主人が嬉しそうに話しだす。
「服?ただの大きな布に見えるが…」
「この辺の人にはそう見えるだろうが、これは女性の服なんだよ。体にぴったりと巻きつけて着るんだ」
 主人は立ち上がって、これがどう服になるのか簡単に実践してみせた。
「なるほどな…その服のことならなにかの本で見たことがある。南の方の着物だろう。実物を見たのは初めてだ」
 冬のザールブルグに一瞬、色とりどりのこの服を着た南の国の女性達が見えた気がした。その顔が、自然と知っている少女とダブる。
「そうだな、この3枚をもらおうか」

 バザールが混み始める頃、買い物を終えたヴェルナーは、金の麦亭にやってきた。バザールの後はこの店によることが多い。店のマスター、ハインツが注文を聞きがてら、いつものように今日の戦果を聞いてくる。ヴェルナーの答えは、たいがいが「まぁまぁ」の一言だ。でも二人は、その言葉でお互いに満足していた。ヴェルナーの「まぁまぁ」は、「結構いい」という意味をさすのをハインツも分かっていた。
「しかし、なんだな、おまえさんと一緒になる娘は、大変だ。その言葉の意味を全部分かってくれなきゃならんもんな」
 ヴェルナーはふん、と鼻で笑った。
「分からなくてもいいさ」
 ハインツはコルクを抜く手を止めた。
「なんと、もう相手がいたのか?」
 こりゃめでたい、と持ち前の豪快な笑いがまきおこる。
「親父、早合点がしすぎるぞ」
 ヴェルナーはグラスを受け取ると、でも嬉しそうに言った。

 カラーン、と店の鐘がなり、酒場には不似合いな華奢な少女、リリーが入ってきた。リリーはこの酒場に依頼された仕事をこなして、生活とアカデミー建設の費用にしているのだ。
「おう、姉さんいらっしゃい!」
 威勢のいいマスターの声がひびく。
「あら、ヴェルナー。こんな所で会うなんて珍しいわね」
「バザールの日だからな」
 うなずきながら、リリーは仕事の内容が書いてあるカードを選んだ。ハインツがしっかりたのむぞ、と念を押す。リリーの用事がすむのを待って、ヴェルナーは声をかけた。
「二人にいいものは見つかったか?」
 リリーはおろかに首をふってみせた。
「なにかいいものがないかと思ってバザールに行ってみたんだけど、物がありすぎて、結局なにがいいのか分からなかったわ」
 すっかり気落ちしている様子だ。
「そんなもんはしょうがない、慣れの問題だろう」
 それだけじゃない、とリリーは言った。
「あたし、あの子達のこと、ぜんぜん分かってなかったんだって、気づいたの…」
 リリーは、親のいない、イングリドとヘルミーナの母親代わりだ。彼女自身が、その事に重大な責任を感じていた。ヴェルナーは、そのことに気づいていた。いつも、錬金術と、二人の少女のことをつねに一番大事にしているリリーを。
「最初からなんでも分かることなんてねぇよ」
 ヴェルナーはリリーの瞳を見た。大きな琥珀色の瞳は、今も真実を求めて、切実に見開かれている。ついつられて、本当のことを言ってしまうような、真剣な眼差し。
「分かってなかったって気づけて良かったじゃねぇか。これから分かればいいだろ」



 なんで雪が降らないんだろう、と疑問なくらいに外は寒かった。ヴェルナーはマフラーをますますかたく巻きつけて、白い息を生産していた。もうすっかり夜もふけて、空には遠く、さえざえと星が輝いている。
 ヴェルナーはこの街でただ一軒の、錬金術師の工房を見上げた。
 もし異国の風習にあるおじいさんが本当にいるならば、この、自分達の故郷から遠く離れた場所で頑張っている少女達を見落としたりはしないだろう。
 俺は神様なんて信じちゃいないんだ。眉をしかめ、ヴェルナーは明かりの消えた工房を見上げながら、想っていた。だけど、もし奇跡と呼ばれるようなことが起こるなら、今日以外にしっくりくる日はないんじゃないかと。

 すっかり人通りのたえてひさしい職人通りに、足音が聞こえた。ヴェルナーが我に返って振り返ると、この工房のもう一人の住人、ドルニエがランプをさげて立っていた。
「いやすっかり帰りが遅くなってしまって」
 ドルニエは、アカデミー建設の中途報告で、ひさびさに国の仲間に会って来ていたところだった。
「君は、たしか雑貨屋の…。どうしたね、こんな夜半に」
 ヴェルナーは万に一のチャンスと、抱えていた包みを突き出した。
「急ぎの品をある人に頼まれたのですが渡す暇がなくて、これ娘さん達の枕元に置いてやってくれませんか?」
 変な頼みなのは分かっている。ただ非常に珍しいことに、ドルニエは少々酔っており、上機嫌だった。
「そうか、すまないね。お店も忙しいだろうに」
 変な顔もせずに包みを受け取った。
「一人に一枚づつ渡して下さい」
 中身を点検したドルニエは感嘆の声を上げる。しっかりとうなずいてみせた。
「ありがとうございます」
 ヴェルナーはお辞儀をすると暗い職人通りを駆け出した。まだ信じられない思いでいっぱいになりながら。

 工房に帰ったドルニエは、汲んであった井戸水を一杯飲むと、言われた通り布を持って2階に上がった。工房は、娘達が起きてる時とはうって変わって静まり返っている。
 イングリドとヘルミーナの部屋の前にたどり着いたドルニエは、二人を起こさないようにとゆっくりドアを開けた。
その途端、部屋いっぱいに青緑の光が発生した。光は床に描かれた魔方陣からまばゆくドルニエを照らし出す。
「かかったわね!」
 左右のベッドに寝ていたイングリドとヘルミーナは、勢いよくふとんをはねのけてベッドを飛び出した。
 何者かが襲ってくるように感じたドルニエは、口元を押さえ、最近開発したズフタフ気化薬を、ふところから素早く取り出すと思い切り噴射した。その効果はてき面で、二人の少女はぱたぱたと床に倒れ、夢の続きを見始めた。魔方陣の光でこの部屋にいたのが泥棒などではなく、いつもの二人であると確認したドルニエは、意味が分からないながらも、二人を順に抱きかかえてそれぞれのベッドに戻した。
 そして二人の枕元に、頼まれた布をそっとおいた。

 次に隣のリリーの部屋へ行った。この部屋ではリリーと、彼女がやとった妖精さん達がそれぞれのサイズのベッドにすやすやと寝ている。その光景はドルニエに、幼い頃に母親から伝え聞いた、森で小人と暮らすことになったお姫様の話を思い出させた。
 ドルニエはリリーの枕元に、そっと布を置いた。安らかな寝顔に、「苦労をかけるね」とつぶやく。リリーがいなければ、今のザールブルグでの生活は難しかっただろう。幼い頃から家の手伝いをしていた少女は、錬金術漬けの生活を送っていたドルニエよりもはるかに家の仕事に詳しかった。
 私達は家族なんだ。血はつながっていないけれど。娘達の寝静まった工房で一人、ドルニエは実感した。



 翌朝、目覚めた娘達はそれぞれに叫び声を上げた。布を持ち寄って、おじいさんが来た!と口々に大騒ぎである。
 ふと冷静になったヘルミーナがイングリドに言った。
「私達のしかけた罠はどうしたのかしら。作動した跡はあったけど」
「あれだけ光れば相手も目がくらむし、私達も目が覚めると思ったんだけどね」
 でも、もうそんなことはどうでもよくなっていた。
 リリーが目を丸くして言う。
「私にも来るなんて思わなかった…!」

 その日、リリーは早朝の職人通りを走っていた。通いなれた、変なものしか置いてない雑貨屋へ向かうためである。通りの角を曲がると、ちょうど店主が店の鍵を開けるところだった。
「ああ、リリーか…またずいぶんと早いな」
 二人は一緒に店に入った。この店には窓がないので、ヴェルナーがランプの一つ一つに火をつける。
「聞きたいことがあって来たんだけど…」
「こりないな、お前も」
「だって、分からないものは気になるし、知ってそうな人がいたら聞きたくなるじゃない」
 ヴェルナーは観念したように言った。
「それもそうだ」
 ところで、これ、とリリーが肩にかけたかばんから、細かい銀糸の刺繍が散りばめられた輝くような桃色の上等な布を取り出した。
 昨日見たときより綺麗なものに見える、とヴェルナーは思った。
「昨日の夜おじいさんにもらったのよ!」
 へー、とそっけない返事をしつつヴェルナーはカウンターへと続く階段を登った。リリーがあわてて後からついてくる。
「信じてないわね!」
「信じてるさ。じゃないと、そんな珍しいものがお前の手にあるわけないからな」
 ヴェルナーはいつもの定位置、カウンターの向こうへ行った。暖炉の片隅に残しておいた火種に紙くずを近づける。リリーはそんな相手の様子にはお構いなしで、枕元にプレゼントを発見した時の気持ちを語った。二人の子供達がどんなに驚き、喜んだのかも。火に少しずつ空気をおくるヴェルナーは、いつにもまして幸せな様子に輝く少女を見て、まあこの報酬なら悪くない、と一人ほくそ笑んだ。
「それでね、この布とっても綺麗なんだけど、大きい上に長い変てこな形だし、薄くて何に使うものなのかよく分からないのよ」
 ヴェルナーは立ち上がると、もったいぶって布を手にとった。
「リリー、これは珍しい、南の国の着物だぞ」
 こみ上げて来る笑いをおさえつつ大げさに言う。
「え?」
 ヴェルナーはカウンターの後ろの棚をごそごそ探ると、「世界の服飾」という本を取り出した。
「この本に載ってるぜ。着方も書いてあるから、着てみたらどうだ」
 カウンターの後ろの物置部屋に姿見もあるし、と付け加える。リリーはそれじゃお言葉に甘えて…と本を借りて物置部屋に入った。
 ヴェルナーが暖炉に薪をくべながら火を活性化させていると、下のほうで店の戸が開く音がした。メイドが来たかと思って階段を下りると、現われたのは紺の仕事着のメイドさんではなく、くたくたのシャツをはおった売れない画家だった。
「おはよう。なにかいいモチーフになりそうなものはないかな」
 しかし店主の表情は非常に険悪なものになっていた。
「…なにかあったのかい?」
 その時、店のカウンターのある2階から若い女性の声が響いてきた。
「ヴェルナー、これでいいのかな?胸とか、腰のあたりがなんだかよく分からないんだけど、見てくれないかしら」
 画家は予想通り、変な顔をした。
「おじゃま、だったかな…」
「ねぇ、ちょっと、どこに行ったの?」
 リリーが階段の上に姿をあらわした。男どもはその光景に息をのむ。リリーは、いつもは横に束ねている髪をおろして、そのダークブラウンの髪の毛を背中まで垂らしていた。鮮やかな桃色の異国の服は腰と裾に豊かなひだをつくり、そこ以外はぴったりと体の線にそっていて、女性の体型をこれでもかと魅力的に見せている。鎖骨のあらわれた白い肌は、階下の真剣な瞳に見つめられてほのかに上気していた。
「リリー!とっても綺麗だよ」
 画家の言葉に店主は舌打ちする。リリーは恥ずかしそうに、そうかな、と言うと後ろも見えるように一回転した。







クリスマスやサンタについてはいろんな所からごだまぜミックスです。古い形が好きだし、あんまり安易に決まったイメージを連想させる出し方はしないほうがいいと思った。
それからズフタフ気化薬はでっちあげですよ〜。
色んなキャラが出てきたので個人的に楽しかった。群集劇みたいのって好き。ザールブルグってそういうことが出来る世界なのでいいなぁ。 (04/1)