ルージュとチーク



 展覧会の帰りに、窓ガラスにうつる自分の姿を見てびっくりした。前髪がはねてる。王様の前
に出たというのに。リリーはあわてて手で髪をととのえると、熱くなった頬を両手でおさえた。

 ザールブルグの大通りはいつものように活気に満ちている。露店商の物売りの声、店先になら
ぶ色とりどりの商品。夕飯の買い物に来たエプロン姿のおばさん達は、そこかしこで井戸端会議
を始めているし、道のあちこちには遊びまわりはしゃぐ子供たちがいる。この光景はいつも、リ
リーの心にぬくもりを感じさせた。
 別の大陸の街、ケントニスから来たリリーは、初めザールブルグのアットホームな雰囲気にと
まどった。ケントニスは大きな石造りの家が建ち並び、あちこちに馬車の走る大通りがある。海
にも近く、人と物の行き交いが激しい。それに比べると、ここにはほとんど馬車が通らないし、
通るとそれがウワサになるほどだ。街の人はだいたい顔見知りで、リリー達がこの街へやって来
たときは、見慣れない人が来たことに、いろんな人が興味をもって親切にしてくれた。

 にぎやかな通りの雰囲気に、ついつい初めてこの街に来た時のことを回想していると、道の向
かいに華やかにおしゃれをした女の人が見えた。
 明るい茶色の髪はきれいにカールされ、輝く石のはめ込まれたアクセサリーをした腕は、横に
並ぶ男の人に巻かれている。鮮やかなルージュの光る口は、嬉しそうに笑っていた。
 幸せそう…通り過ぎた二人をちらっと振り返って、リリーは思った。
 自分も、好きな人と一緒にいる時が一番きれいに見えるんじゃないだろうか。一緒にいられる
ことが嬉しくて肌もイキイキしている気がするし、彼の仕草の一つ一つも見逃すまいと、その心
が少しでも分からないかと、たえず瞳をぱっちりあけていると思う。今のようにほうけた顔なん
てしていないだろう。
 そう考えると、また顔が熱くなった。
 好きな人…というか気になる人が出来たのは最近だ。最初はとっつきにくそうに思われたのだ
が、必要な物を買うために、彼のやっているお店にかよっているうち、以外と気が合うことが判
明し、気がつかないうちにだんだんと、彼のことがもっと知りたいと思うようになってしまった
のである。

 アトリエに帰ると、展覧会のことなどすっかり忘れてしまっていた。散らかったままの机の上
の物を無理やりすみに押しやって、棚からきれいな乳鉢を取り出す。作り方を知っていたにもか
かわらず、今まで一度も作ったことのなかったルージュを作ってみようと思ったのだ。
「先生、お帰りなさい!展覧会はどうでした?」
 リリーが面倒を見ている少女、イングリドが2階からおりてきた。
 しかし、時すでに遅く、リリーは宝石草のタネをすりつぶし始めた後だった。イングリドは、
リリーが調合に夢中の時は人の声が聞こえていないことを良く知っていたので、返事を聞くのは
あきらめ、しおりをはさんだ本をふたたび広げた。いつもよりさらに熱心な様子のリリーを少し
疑問に思いながら。
 リリーはご飯を食べるのも、寝るのさえ忘れて調合を続けた。



 次の日の昼、アトリエのドアを叩く音があった。調合の大詰めに入っているリリーには、もち
ろん聞こえていない。イングリドも、本を読みふけっていてしばらくの間気づかなかったが、3
回目のノックで我に返り、急いで扉にかけよって開いた。
 見なれない男が立っている。
「あー…依頼をしに来たんだが」
 扉の先へいた相手が予期した人と違った男は少しうろたえた。
「先生は今、手が離せないので、私がかわりにうかがってもよろしいですか?」
 男はしばらく間を置くと「あとどのくらいだ?」と聞いてきた。その瞳は興味深そうにドアの
隙間から見えるアトリエをのぞいている。
「1、2時間だと思います」
 イングリドはこの失礼な態度の男をさっさと追い払おうと思った。しかし、男はイングリドの
わきをすりぬけると
「待たせてもらうぜ」
と言って勝手にアトリエに入ってしまった。イングリドが抗議しようと急いで後を追うと、男は
すでにリリーを見つけた後だった。
「おい、リリー!」
 男がリリーを呼び捨てにしたのが、なんとなくイングリドには気に入らなかった。わざとひや
やかに
「今の先生には話しかけても無駄ですよ」
と言ってやる。男は振り向くと小さく「へえ」と言って静かにリリーの隣に立った。
 リリーは一心不乱に赤いものを練っている。しばらくその作業を見守った男は、もう一度、さ
っきよりも小さな声で、ためすように呼びかけた。
「リリー?」
 そのとたん、リリーはびっくりして声の方向へ振り向いた。
「ヴェルナー!」
 イングリドは目をぱちくりさせた。
「依頼に来たんだが、取り込み中だったみたいだな」
「う、ううん、大丈夫。依頼って何?」
 男は品物をつげると、また店の中をじろじろ見ながら名残惜しそうに去っていった。

 それから少しして、ルージュはやっと完成したのだが、品質も効果もあきらかにEランクにな
ってしまった。練りがうまくいかなくて、ほとんど液体だったからだ。それでもリリーは嬉しく
て、指先にちょっとつけると唇にぬってみた。ぬった感じは、ルージュというより木苺の汁を口
につけてしまったみたいだったが、でもそのほんわかした赤みが、今の自分にあっている気がし
て、リリーは気に入った。



 数日後、リリーがお茶をしている時に、ヴェルナーが依頼の品を受け取りに再びアトリエを訪
れた。リリーは品物を渡す前に自分の向かいにある椅子をすすめてみた。するとヴェルナーは、
せっかくだし、と座ってくれた。興味深そうにアトリエ中の棚を見ている。
「今日はえらくすっきりしてるな」
「あ、あの日は、たまたま汚かっただけよ!」
 なんだか不思議な感じ…とリリーは思った。アトリエでヴェルナーと向かい合ってお茶を飲ん
でるなんて。
 いつも2人が会う場所は、窓のないヴェルナー雑貨店のカウンターごしだ。うさんくさいもの
があふれているという意味では雑貨屋とアトリエは共通していたが、アトリエは午後の陽光が暖
かい色を部屋のそこここに投げかけていた。
 光の中の相手はとても輝いて見える。
 リリーはカップに目を伏せたヴェルナーに顔をあげてほしくて話しかけた。
「この前はごめんね。気づかなくって」
 ヴェルナーは視線を上げぬまま、お茶をぐっと飲み干した。
「それに私、ひどい格好だったと思う。調合に夢中な時って周りが見えなくなっちゃって」
 普段の自分のマヌケな姿を見られたことを思い出すと恥ずかしくなって、リリーの声は上ずり、
自然と早口になってしまった。
 てんぱり気味のリリーに比べるとヴェルナーは落ち着いていた。カップを置いて、向かい合っ
た少女に目を合わせる。2人は午後の日差しの中、見つめ合った。
「お前はやっぱり錬金術師だよ」
 錬金術をしている時のリリーの表情は、他のどの時よりも一番真剣で、かっこいい。
「なによ、それ」
 しかしヴェルナーには、今のリリーが一番可愛く見えた。それがなぜかは、知らないけれど。













普段の時と、好きな人の前にいる時と、なにかに真剣になっている時の表情の対比…
を書きたかったような。あと工房依頼に来たヴェルナーとか。なにげない日常。
ザールブルグの日常を感じる空気感が好き。 (03/10)